「鉄人28号 白昼の残月」ショウタロウの正体(完全版)


先日、アニメ映画「鉄人28号 白昼の残月」のオリジナルキャラクター、ショウタロウ兄さんについて解き明かそうと思い「『白昼の残月』ショウタロウの正体」と題して簡単な作品分析をしました。今回はその補足を兼ねてより深く金田ショウタロウについて考察していこうと思います。 前回の記事と重複する部分もありますが、興味がある方はどうぞ。

 なお、映画「鉄人28号 白昼の残月」と「あばれ天童」、「三国志」等の漫画についてのネタバレを含みます。 ネタバレが嫌な方は以下の内容を読まないで下さい!!

 では、はじめます!



〈1〉「鉄人28号 白昼の残月」とは

映画「鉄人28号 白昼の残月」 原作: 横山光輝、監督・脚本: 今川泰宏 (2007年)

 本作は、同監督のアニメシリーズ「鉄人28号」(2004年)の映画版なのですが、映画オリジナルの要素もかなり多い作品です。

 戦後10年経つ東京である日、謎の不発弾が発見されます。回収作業中の警官隊が不発弾を狙う怪ロボット3体に襲われ、少年探偵である主人公金田正太郎と鉄人28号が応援に駆けつけます。しかし、怪ロボット3体相手に鉄人も大苦戦。そこへ、謎の青年が現れ、正太郎から鉄人の操縦機を無理矢理奪い、あっさり3体を撃破してしまうのです。

 この謎の青年が今回解明する、金田ショウタロウ兄さんです(以下、ショウタロウ) 。金田正太郎の父、金田博士(アニメオリジナル)は、正太郎が生まれる以前にショウタロウを養子にし、鉄人の操縦者として育てます。つまり、ショウタロウは、正太郎にとっては義兄にあたる存在。しかし、太平洋戦争戦中ショウタロウは南方で行方不明となり、一度は戦死したことにされます。敗戦後、義兄の存在を知らぬまま生まれた正太郎が少年探偵として活躍する中、突然復員したショウタロウは父親から譲り受けるはずだった鉄人と父親の負の遺産である不発弾(廃墟弾)を利用して事件を巻き起こすのです。

ショウタロウ


ショウタロウは鉄人の操縦者となるべく訓練された特異な存在であり、残留日本兵であり、主人公の義兄であり、そして次々と起こる事件の犯人の内の1人でもあります。映画オリジナルのキャラクターなので、もちろん原作「鉄人28号」にも、横山光輝の漫画作品にも"金田ショウタロウ"という青年は出てきません。

 しかし、ショウタロウのデザインが横山光輝作品の真面目なキャラクターたちによく似ているため、以前からネット等で、ショウタロウは横山漫画のキャラクターがもとになっているのでは?と言われて来ました。なので、ここからは横山漫画のキャラクターの中でもショウタロウにデザインの近い"姿三四郎系少年たち"を紹介しながら正体を探って行きましょう。


〈2〉横山作品とショウタロウ
(1)姿三四郎系少年たち

 横山作品とショウタロウの関係を紐解く上でまず整理しておきたいのが、「姿三四郎」の影響を受けた作品についてです。

小説「姿三四郎」作:富田常雄(1942年、錦城出版社)

 姿三四郎は映画、漫画、アニメ等と色々な媒体で作品化されていますが、イガグリ頭の柔道青年というのが一番基本のイメージだと思います。

 ちなみに、みなさんは「仮面の忍者赤影」の主人公赤影の本名をご存知でしょうか?1978年に『週刊少年チャンピオン』に掲載された「仮面の忍者赤影(新)」では、"赤垣 源之助"となっています。この名前は、姿三四郎のライバル"檜垣源之助"のもじりなんです(笑)

 横山作品と「姿三四郎」の関係についてはごく最近までほとんど知らなかったのですが、調べてみると「姿三四郎」の影響を受けて書かれたと思われる作品が複数ありました。以下、年代順に「姿三四郎」の影響が見られる作品を紹介していきます。

 スタートは、幻の作品「すがた三四郎君」です。横山光輝のデビュー作(※発行順)である「音無しの剣」が出版される3年ほど前に『少年少女読切読み物ブック』に掲載されました。

①漫画「すがた三四郎君」作:横山光輝(1952年、少年少女読切読み物ブック)

 タイトルから、おそらく内容は「姿三四郎」をベースとした子ども向けの漫画であることが想像できます。残念ながら、現在「すがた三四郎君」を収録している書籍は無く、横山光輝オフィシャルウェブサイトの作品リストや『横山光輝プレミアム・マガジン Vol.7』(2009年)、『黄金都市』(2010年、小学館クリエイティブ)解説などで、作品の存在が紹介されているのみです。なので、今回、作品の中身について確認することができませんでした。もしかしたら現存しないのかも?…現存するならぜひぜひ読んでみたいですね!

 さて、「すがた三四郎君」の次に「姿三四郎」をモチーフとした作品は「こがらし大助」です。「すがた三四郎君」が現存しない場合、「こがらし大助」は横山光輝の姿三四郎系作品の中で内容を確認できる一番古い作品となります。ちなみに、タイトルの《こがらし 大助》は主人公の名前ですが、後に書かれる「くれない頭巾」(1959年)の主人公の名前にもなっています。

②漫画「こがらし大助」作:横山光輝(1956年、「冒険王」)

 内容は、柔道の試合で友人の植村春夫に"柔道家としては再起不能"の大ケガを負わせてまったことを機に柔道を辞めて帰郷したこがらし大助少年が、一郎青年や柔道家の鬼頭との出会いを通して、再び柔道にはげむようになるというものです。

 対する、姿三四郎もまた、必殺「山嵐」で門馬を死なせてしまったことで柔道を続ける意義を見失ったり、外国人のボクサーにのされる関根の姿を見て「自分の勝利がたくさんの人を押しつぶしているのを見て、柔道を辞めたくなった。」と語ったり、自分の柔道にについて悩む姿が見られます。

こがらし大助


 自分の勝利によって犠牲になる者を目の当たりにすることで悩み、柔道を辞めようとする柔道少年こがらし大助像は、「姿三四郎」をモチーフとしているのです。ただし、大助を取りまく柔道家やコミカルな友人たちなど要所要所は横山光輝の漫画家としての独自性が発揮されていると感じます。

 余談ですが、本作は、横山作品としても当時の柔道漫画の描写としてもちょっと珍しい描写が見られる作品でもあるんです。多くの柔道漫画で投げ技の場面は[①組み合う]→[②投げる]→[③倒れる]の順でコマが描かれています。これは昭和漫画でも同じようです。

例) 福井英一「イガグリくん」(1952年)の柔道


 漫画において[②投げる]コマは技の迫力を一番表現できるコマ。すごい技になればなるほど[②投げる]が派手に描写される印象があります。

 しかし、「こがらし大助」では[②投げる]が抜けており、[①組み合う]コマから[掛け声の文字]のコマ、そしていきなり相手が[③倒れる]コマに続くんです。

「こがらし大助」の柔道


 どんな技かは分からないけれど、あっという間に相手が倒れてしまうこの描写、これは黒澤明監督の「姿三四郎」で三四郎が門馬と戦う場面に似ています。

映画「姿三四郎」監督:黒澤明(1943年

 漫画と映画ではもちろん違いますが、小柄な三四郎が体格差のある門馬をあっという間に倒すという普通ではあり得ない光景を描く際、黒澤監督は[①組み合う]→[驚く観客の顔]→[③倒れる]という順で映像を撮っています。[②投げる]映像をあえて映さず、[驚く観客の顔]を映すことで、試合中の光景をより印象的に見せているようです。

 ちなみに、先の「音無しの剣」で作者は投げ技の迫力と舞台の奥行きを感じさせる見事な[②投げる]の1コマを描いています。作者の画力を見ると[②投げる]が描けなかったというわけではないようです。

「音無しの剣」村雨次郎の投げ技


 断言はできませんが、作者に[②投げる]コマを描く実力があったにもかかわらず[②投げる]を描かなかったのは、黒澤監督の「姿三四郎」の映像描写を踏襲して、あえて描かなかったということではないでしょうか?そう考えて読んでみると子ども向けとは言えなかなか洒落た作品ですよね!

 次に柔道をする若者が描かれるのは、「こがらし大助」から30年ほど経つ1970年の「さいごの山嵐」です。本作の舞台は太平洋戦争中の日本であり、おそらくショウタロウの人物造形に一番影響した作品です。

③漫画「さいごの山嵐」(1970年、「別冊少年ジャンプ」)

 主人公は、かつて麒麟児と呼ばれた柔道の天才竜道寺達也。達也は、柔道で人を殺めたことを機に柔道を辞め、陸軍に入隊します。頑なに柔道をしないと言い張る達也に対し、期待を寄せていた部隊の教官や同胞たちは落胆し、達也に対して必要以上に厳しく接するようになります。その後、サイパン島で米国軍に囲まれた達也は、部隊で唯一心を通わせる友であった桂木上等兵を救うため、封じていた柔道の技を敵国兵士に繰り出し散ってゆくのです。

竜道寺達也


 達也の活躍のおかげで無事に復員した桂木上等兵は、戦後25年の日本で「どんな理由があるにしろ戦争はいかん 才能のある若者が花もさかせずにちっていくんだからなあ」と語っています。「さいごの山嵐」は、「こがらし大助」と同様、自分の柔道に悩む若者姿三四郎を踏襲しつつ、才能ある若者が無残に散る戦争の不条理を描く考え深い作品となったのです。

 私の知る限りで横山光輝の柔道漫画は「さいごの山嵐」が最後です。ただし、姿三四郎及び横山光輝の柔道漫画の傾向を受け継いでいる作品として最後に番長漫画「あばれ天童」を紹介します。

④漫画「あばれ天童」作: 横山光輝 (1974年、少年チャンピオン)

 若葉学園に転校してきた山城天童は、成績優秀、スポーツ万能。おまけにケンカの腕もピカイチで、転校早々不良たちをあっさり倒してしまいます。そのせいで番長連合という各学校の番長を束ねるヤバい学生組織に目をつけられ、事件に巻き込まれていきます。 1970年以降の横山作品で坊主頭の少年が主人公になるのは大変珍しいことです。

山城天童


 この天童少年、普段は親元を離れて寂れた興安寺で栄徳和尚と二人暮らしをしていますが実は大手企業山城グループの御曹子。聡明な実父、優しい義母、そして可愛い義弟喜春と仲睦まじく暮らしていたある日、不慮の事故で天童と喜春は大ケガを負います。天童は完治したものの、喜春は事故以来半身不随に。自分だけが助かってしまったことへの自責の念から悩み苦しんだ天童は、家族を避けて興安寺に居候するようになるのです。

 登場キャラクターは、全体的に「三国志」や他の横山作品のキャラクターに近いデザインが用いられており、真面目な性格で目や眉がくっきりした劉備玄徳タイプの主人公天童と対峙する番長連合のリーダー柚木が玄徳のライバル曹操にそっくりになっているなど、スター・システム的なキャラクター配置になっています。「三国志」と比較して読むとなかなか面白い作品です。

 作中、天童がやるのは柔道でなくカラテや剣道ですし、天童と先に挙げた柔道漫画の主人公たちではだいぶ状況が違っています。しかし、姿三四郎を象徴するイガグリ頭、そして青春の時期を悩みながら成長する格闘少年の姿は横山光輝の姿三四郎系少年と呼ぶのに相応しいものだと思います。

 こうして作品を一気に並べてみると、漫画家横山光輝が才能あふれる若者たちの悩む姿を繰り返し描いて来たことがよく分かりますね。さて、ここからは横山作品と劇中歌の関係を明らかにしてみましょう。


(2)山城天童と「お富さん」

 「さいごの山嵐」の竜道寺達也の次にショウタロウに影響を与えていると感じた横山作品のキャラクターは、先に紹介した番長漫画「あばれ天童」の主人公、山城天童です。 坊主頭に凛々しい眉毛。 また、見た目だけでなく性格も真面目で頑固な感じがよく似ています。

 さて、この天童少年と「鉄人28号 白昼の残月」をつなぐものは、劇中歌「お富さん」と天童が家族を避けて興安寺に居候するきっかけです。 事故で半身不随になった義弟喜春に対し助かってしまった天童は自責の念から悩み、喜春が幸せに暮らせるよう画策します。そして、天童は自分の代わりに喜春が父の会社を継げるよう、不良とケンカして悪童を演じ、ついに家族を避けて興安寺に居候するようになるのです。

弟の姿を見てショックを受ける過去の天童


 これだけでは一見映画と無関係に見えますが、ここで重要になるのが劇中歌「お富さん」です。

歌謡曲「お富さん」春日八郎 (1954年)

 映画「白昼の残月」では、「お富さん」という歌謡曲が度々使われています。この歌は、歌舞伎「与話情浮名横櫛」(通称「きられ与三郎」)の[源冶店]という場面で、質屋の番頭の妾になったお富さんが昔の恋人与三郎と再会する内容を歌詞に唄ったもの。 ここで、どのような場面で「お富さん」が使われていたのか振り返ってみましょう。

《劇中の「お富さん」の使用場面》

①戦友村雨竜作とショウタロウが再会を喜び握手をしながら「お富さん」を引用


②戦友との再会を祝してアパートで宴会をする際かける「お富さん」のレコード


③酔った村雨兄弟がレコードに合わせて「お富さん」を合唱


④アパートの管理人萱野月枝が夕飯を作りながら村雨兄弟と高見沢の歌につられて唄う


⑤誰もいなくなったアパートに「お富さん」を唄う月枝の声がさびしく響く


 一見、①②③は再会の場面を盛り上げるため、④⑤は金田博士の妾的立場である萱野月枝を象徴する感じで「お富さん」が用いられているように見えます。ただし、ここで注意すべきなのは①が歌謡曲でなく歌舞伎の台詞の引用である点です。「お富さん」は戦後の歌です。なので、残留日本兵だったショウタロウはこの歌を知りません。なのになぜ「お富さん」の台詞がスラスラ出てくるのかというと、おそらくショウタロウや村雨竜作をはじめとする特攻隊のメンバーが「お富さん」のもとになった歌舞伎の「きられ与三郎」を知っていたからでしょう。

 ショウタロウは、村雨竜作とノリノリでセリフを言う一方、レコードや村雨兄弟の合唱はその場で黙って聞くだけで、一緒に唄おうとはしません。歌としての「お富さん」を知っているか否かが、残留日本兵ショウタロウと戦後の日本を見てきた竜作たちをはっきり隔てるものとなっているのです。そう考えると、歌を聴きながら一人黙って酒を飲むショウタロウの姿が何だか悲しいものに見えてきますね。

 さて、なぜ天童と映画の関係を明らかにするのに挿入歌「お富さん」がポイントになるかと言う話に戻りましょう。鍵になるのは、歌のもとネタとなる歌舞伎なんです。

歌舞伎「与話情浮名横櫛」(1853年)

 主人公与三郎は、もともと立派な大名に使える武士の息子。大名家のお家騒動の後、子どものいない商家の養子になりますが、その後その商家には与五郎という実子が誕生します。商家の実子与五郎に気を使った与三郎は、わざと遊び歩いて悪童を演じた末、勘当されて木更津の親戚の家で謹慎状態になります。その後、お富さんと出会って、恋に落ちて…
と、物語は続くのですが、養子に行った与三郎の話と天童の話はよく似てますね。

 与三郎も天童も義弟のために悪童を演じる兄。横山光輝と歌舞伎の関係についてはよく知りませんが、忍者や歴史漫画を多く描いている作家なのでおそらく「きられ与三郎」をご存知だったのでしょう。そういえば、「きられ与三郎」と「あばれ天童」、なんとなくタイトルの付け方が似ているような気も…(笑)

 さて、歌舞伎と「あばれ天童」の関係が分かったところで、「白昼の残月」に戻ります。「きられ与三郎」を歌にした「お富さん」を劇中歌にしていることから、ショウタロウと天童は単にデザインが似ているだけでなく密接な関わりがあるということがお分かりいただけたでしょうか?ただし、今川監督は単に天童という横山漫画のキャラクターを丸写しして映画に引用したというわけではないようです。

 ここからは、別の横山作品との関係も見てゆきます。


(4)劉備玄徳の母子関係

 さて、ショウタロウとは何なのか?それは、戦後10年目に次々に明かされる金田博士の秘密であり、劇中で起こる事件の犯人であり、戦法から残月という異名を持つ特攻隊兵士あり、様々な面から語ることができるでしょう。ここで、やはり気になるのが、劇中で同じ残月という名を持ち罪を犯す萱野月枝の存在です。

 映画の終盤、アパートの管理人の萱野月枝がショウタロウの実母であることが明かされます。 この萱野月枝という人物は、もともと金田博士の廃墟弾事故の犠牲者で、事故の後重症を負った月枝を金田博士は手厚く世話し、残月と呼ぶようになります。

萱野月枝


 後に月枝と博士の間にはショウタロウが産まれますが、博士は既に正太郎の母と結婚していたため月枝は正体を隠し、金田博士の建てたアパートで暮らします。おそらく月枝が自分の幸せや利益よりも、金田夫妻そして後に養子へ行く息子ショウタロウの幸せを優先した判断だったのでしょう。「あばれ天童」の誰かの幸せのために身を引いて愛する家族と離れて暮らすというプロットはショウタロウでなく月枝に引き継がれたという感じですね。

 さて、ここで月枝のモデルとなった女性として挙げておきたいのが「三国志」の劉備玄徳の母です。

 「三国志」作: 横山光輝 (1971年、『希望の友』他)

「三国志」玄徳の母


 月枝と玄徳の母、デザインもかなり似ているのですが、この母親たちもまた息子に負けず真面目で頑固な性格なんです。

 玄徳の母の真面目すぎる性格が象徴的に現れているのが、第1巻の茶を川に捨てる場面です。働いた金で母のために当時かなり高価だったお茶を買い、黄巾党に捕まる窮地を乗り切りながらやっとの思いで帰郷した玄徳。お茶を買ってきたことを喜んでくれるだろうという玄徳の期待と裏腹に、母親は玄徳が持ち帰った茶を川に捨てて叱ります。理由は、玄徳が帰郷の途中で漢王朝の末家であることを示す大切な刀を張飛の刀と交換し、物事の優先順位と大局を見誤ったからです。

 母を思いやる息子の気持ちの象徴である茶を無残に捨ててしまう玄徳の母は一見厳しく冷たい女性のように見えます。しかし、玄徳を叱った後、玄徳の母はひとり茶を捨てたことを詫びつつ川の畔で涙を流します。漢王朝の末裔として立派な息子に育てるという母親としての使命を優先させ、心を鬼にして息子を叱る玄徳の母ですが、根底に流れるのは息子への深い愛だったのです。

涙を流す玄徳の母


 一方、母親であることを明かした後の月枝もまた"鉄人で日本を守る"という使命を見失ったショウタロウを叱り、大鉄人の処理を命じます。爆弾がセットされた大鉄人の処理をするということは、イコール命を捨てるということです。こっちはお茶どころの騒ぎではありません!

 なぜ、大鉄人登場という突然の危機に月枝が自分の息子を死に追いやる決断ができたのか、それは月枝に息子への愛情が無いからではありません。おそらく、京都の寺の羅漢さんの下にショウタロウのへその緒を埋めた時から母親としての使命を強く自覚し、覚悟を決めていたからでしょう。

 日本では、自分の子が戦地で死んで戻ってこない場合、遺骨の代わりにへその緒を埋めていたのだそうです。月枝にとって生きているショウタロウのへその緒を埋めるという行為は、単に息子を養子にやるこというものでは無いと思います。これは、金田博士の元で日本を守る使命を果たし、命を落とすかもしれないショウタロウを葬ったことにして、二度と会わないと誓う月枝の強い覚悟から来る行為なのです。

 しかし、月枝の覚悟と裏腹にショウタロウは太平洋戦争で大した活躍もできぬまま日本に帰り、鉄人の操縦士としての座も日本を守る使命も失ってしまいます。そんなショウタロウに日本を守らせ、使命を果たさせるために月枝は再び息子を葬ることとなりました。

 ショウタロウが母の言いつけどおり大鉄人に向かった直後、月枝は先に負っていたクロロホルムの銃弾の傷によって倒れ、後に生還するものの後遺症で記憶を失ってしまいます。

 劇中、記憶を失った月枝はショウタロウが死んだことを知らぬまま、病院で「息子が復員してくる」と嬉しそうに語ります。本音よりも母親としての使命を優先させる真面目な性格のため息子を死に追いやったものの、記憶とともに使命を失った月枝に残ったものは離れて暮らす息子との再会を夢見る気持ち、つまり息子への愛情だったのです。

 このように、月枝も玄徳の母と同様、息子への愛と母親としての使命との間で板ばさみになりながら戦う真面目で強い母親だったのです。


〈3〉残月と残月

 さて、ともに残月の名を持つ月枝とショウタロウ親子ですが、2人を大きく隔てるものは戦後復興の苦労を見てきたかという点と、使命を捨てた時に残る感情の違いだと思います。

 先にも述べたように村雨竜作や萱野月枝たち「お富さん」が唄える人物は日本の復興の様を見てきた人物です。戦争の悲惨さも、一面が廃墟と化した日本を復興する人々の苦労も見てきた存在です。だから、たとえ自分の手に堕落した日本を変えるような最強の武器があっても日本を廃墟に変えようとはしないでしょう。 実際、村雨竜作は兵器関係のものを盗んでも悪用せずに壊してしまう人情派ギャングです。

 一方、日本復興の苦労を知らないショウタロウは母に諭されるまでずっと日本の廃墟化、リセットをたくらみます。悩みながらも成長する青春の大切な時間を戦争によって奪われ、戦って日本を守るという使命を終戦によって奪われ、さらに日本を守る手段である鉄人を義弟正太郎によって奪われたショウタロウの心は廃墟のように荒み、それまでの罪が無かったかのごとく復興に浮かれて堕落した日本を憎み、葬ってしまおうと考えます。

 「鉄人28号 白昼の残月 公式徹底解析」でも紹介されている残留日本兵横井庄一氏の「帰ってくるんじゃなかった。贅沢に慣れすぎた日本人は、どこか間違っているのでは」という言葉。ショウタロウの戦後の日本に対する感情も横井氏のこのコメントに近いものだったのでしょう。

 人生の貴重な時間を戦争によって奪われ、復員後はせっかく苦労して身につけた戦闘の技や鉄人の操縦を封じられ、ショウタロウは戦後の日本社会に溶け込めない異質な存在になってしまいます。そして、ショウタロウは使命を忘れて日本への復讐を実行する鬼、モンスターと化すのです。

 そう考えると、ずっとカタカナ表記の「ショウタロウ」に感じる無機物的な印象、ショウタロウが兵器やモンスターといった人間ならざるものに近い存在であることを象徴しているように思えてきます。なぜショウタロウはここまで極端に復讐心にとらわれなければならなかったのでしょう?


〈4〉白昼の残月と幻夜

 ここからは映画のテーマについて考えてみましょう。映画の舞台となった時期の日本のは、戦争中の罪を詫び、戦争の爪痕だらけの町を復興し終えた日本です。そんな舞台を選定した映画の根底を流れる大きなテーマとして無視できないものが「罪」です。

 劇中で最初に「罪」という言葉を印象付けるのが冒頭の語りの部分です。

「そして、平成となった今もなお、この日本のどこかに人知れず身を隠し、その赤黒い瞳で、時代が産み落とした罪を見つめ続けている。そのひとつに、たとえ時代の闇に埋もれようとも夜空に浮かぶ美しき月の輝きに姿を照らし出されてしまう罪があった。」

常に罪を見つめ続けるものとしての"美しき月"の存在を挙げる冒頭。本映画が罪について描くと宣言する部分です。

 罪がテーマであれば、当然対になるのが謝罪です。ちょっと蛇足ですが、ここで劇中にどんな詫びの言葉が出てきたのか整理してみましょう。

 《謝罪のセリフ》

 
[ 発言者 ]
[ 相手 ]
[ 内容 ]
1
すまんね
大塚
ショウタロウ
混雑した2等車に乗せたこと
2
すまなかったね
ショウタロウ
正太郎
自分がすべき鉄人の操縦を任せていたこと
3
失礼いたしました
ショウタロウ
萱野
母と勘違いしたこと
4
すまない
敷島
ショウタロウ
戸籍の管理を怠ったこと
5
すいません
ショウタロウ
敷島
引越しを手伝ってもらったこと
6
本当にすまない
敷島
ショウタロウ
鉄人を手放す結果を招いたこと
7
すみません
正太郎
ショウタロウ
電車に乗るのを手伝ってもらったこと
8
すみません
正太郎
逃げる人々
ぶつかったこと
9
わざわざすまないね
敷島
ショウタロウ
急に現場へ呼び出したこと
10
すみません
ショウタロウ
大塚
廃墟を「美しい」と言ったこと
11
すまんな
竜作
ショウタロウ
高見沢が操縦器を持ち出したこと
12
ごめん、ごめんよ、鉄人
正太郎
鉄人28号
無理やり廃墟弾の処理をさせたこと
13
すまなかった
官房長官
大塚
大鉄人を知りながら秘密にしていたこと
14
遅くなってすまない
敷島
正太郎たち
勝手に京都へ行き、帰りが遅くなったこと
15
ごめんなさい
萱野
正太郎
命を狙い、恐ろしい目にあわせていたこと
16
色々とすみません
萱野
敷島と大塚
自分を病院に運ぶ手配をしてもらうこと
17
すまない
ショウタロウ
竜作
大鉄人との危険な戦いに巻き込んだこと

 ざっと数えただけで17ヶ所ありました。95分の映画ですから、だいたい5~6分につき1回誰かが謝っていると考えるとなかなか多いですね(笑)

 さて、映画において見つめ続けられる罪とは何だったのでしょう?それはやはり映画全体を通して描かれたショウタロウの罪だと思います。戦後の日本に突然廃墟が出現したのも、鉄人28号がひとりでに動いていたのも、廃墟弾と大鉄人がベラネードに狙われたのも、原因はショウタロウであり、映画は復員兵の青年の中に隠れているモンスター的な復讐の心を徐々に白昼にさらしていくような印象を受けました。

 ここで思い起こされるのが同監督OVA作品「ジャイアントロボ THE ANIMATION ‐地球が静止する日‐」の幻夜です。「ジャイアントロボ」においても若者の復讐心が世界を震撼する大事件を巻き起こすさまを描いています。

「ジャイアントロボ THE ANIMATION ‐地球が静止する日‐」(1992年)原作: 横山光輝、監督: 今川泰宏

 この作はスター・システムを採用しており、ジャンルを問わず横山作品のあらゆる作品のキャラクターが登場します。勿論、幻夜もその一人で、「伊賀の影丸」(1961年)の幻也斎がもとになっています。

 幻夜は「バシュタールの惨劇」の犯人という汚名を着せられた亡き父フォーグラー博士の復讐代行のため大怪球フォーグラーというフォーグラー博士の開発したアンチ・シズマドライブで稼働する怪ロボットを使って世界中の電力の源シズマドライブを使用できない"静止"状態にします。彼の執念はまるでアレクサンドル・デュマ・ペールの小説「巌窟王」や横山光輝も漫画化した江戸川乱歩の「白髪鬼」の主人公たちのよう。

「ジャイアントロボ」幻夜


 物語の終盤、父の遺したアンチ・シズマドライブが復讐のための兵器ではなく、世界をシズマドライブ暴走の危機から救うためのものであったということを知り、幻夜は困惑と後悔の涙を流しながら自爆する大怪球とともに散ります。

 幻夜にはアンチ・シズマドライブ、大作にはジャイアントロボ。2人は若者の手に余る遺産を父親から手渡された点が共通していますが、幻夜は復讐心に駆られて父親の守ろうとした地球を恐怖に陥れてしまいました。

 さて、対する「鉄人28号 白昼の残月」はどうだったでしょうか?ショウタロウと正太郎もまた父親の遺産である鉄人と廃墟弾を託され、ショウタロウは復讐心に駆られて父親の守ろうとした日本を恐怖に陥れてしまいました。

 そう、2つの作品は舞台や原作とする作品は異なりますが、復讐心を募らせた青年が父親の遺産を用いて大事件を巻き起こし、そのさまをまた似た境遇の少年が目の当たりにするという根本的なプロットが同じなのです。

 復讐心に支配された2人の青年は終盤大変な思い違いをしていたことに気づかされます。最期に幻夜は自爆する大怪球を命を代償とするテレポーテーション能力で宇宙に放り出し、地球を救います。散り際に、幻夜は以下のような問を主人公の草間大作少年に投げかけます。

「こんな恐ろしいもの僕に渡しておいてどうしろって言うんだよ!父さん!答えてよ父さん!そうだろ?こんな恐ろしい遺産を勝手に父親に渡され、どうする?貴様ならどうするつもりだ?答えろジャイアントロボ!いや、草間大作!」

 ショウタロウもまた日本侵略を狙うベラネードやクロロホルムの手から日本を守り、大量の廃墟弾を搭載した大鉄人とともに散ってしまいます。

 本来を平和守るために作られたものの武器としても強大な力を持つ父親の遺産を使って青年が大事件を犯す様を描き、その顛末を目の当たりにする少年、そして視聴者に問いかける。これが今川泰宏の「ジャイアントロボ」であり「鉄人28号 白昼の残月」なのです。幻夜もショウタロウも監督から投げかけられる問そのもの、2人は問いを投げかけるために作られた復讐のモンスターだったのです。


〈5〉その答えをいつか私に…

 最後に、作品を通して大罪を犯し、命と引き換えにその罪を償うことで、幻夜とショウタロウの2人が投げかけた問の答えとは何だったのでしょう?とんでもない遺産を「どうする?貴様ならどうするつもりだ?」という問の答えは何だったのでしょう?

 その答えはまだ出ていないと思います。ただし、暫定的な答えとして大作の選んだ道、それはジャイアントロボとともに《犠牲無しに幸せを得る方法》を模索することです。父草間博士が最期に放った「幸せは犠牲無しには、得る事は出来ないのか?  時代は不幸無しには、越える事は出来ないのか?」という言葉、そして銀鈴に「その答えをいつか私にも教えてちょうだい」と託された夢をジャイアントロボとともに模索し続けるのです。

 「鉄人28号 白昼の残月」の正太郎もまた鉄人28号とともに生きる道を選びます。最後に、敷島博士の「君はそれを使って、これから鉄人をどんなふうに操縦していくんだろうねぇ。」という問に正太郎は答えます。

「それは僕にもまだ分かりません。でも、そのときは鉄人を操縦するんじゃなく、命令するんでもない。僕と鉄人、いえ2人の正太郎は今度こそともに、この日本の時代の波に流し消されないよう、戦って、生き抜いていくつもりです。だって残月はいつも僕たちを見てくれているから。」

 正太郎は《鉄人を物として扱わない》こと、そして《残月(=罪を見つめる目)に見られていると意識する》ことでショウタロウと同じ過ちを繰り返さぬよう生きていくのです。

ショウタロウと正太郎


 「鉄人28号 白昼の残月」とは、復讐心にとらわれた青年の過ちを最後まで見つめ続けた少年が未来を模索しながら父の遺産とともに生きる決意をする物語だったのです。


〈6〉おわりに

 長くなりましたが、〔「鉄人28号 白昼の残月」ショウタロウの正体〕いかがでしたでしょうか?「鉄人28号 白昼の残月」は見ごたえのある作品でありながら、一度見ただけではスッと腑に落ちない感じがしたので、他の横山作品を読みつつ何度も何度も見返しました。

 映画の見方、感じ方は人それぞれですが、横山光輝の姿三四郎系作品、「三国志」の親子像、「おとみさん」の意味、そしてショウタロウの役割について知っていただくことで、すでに映画を視聴された方も前回と違った楽しみ方ができるのではと思います。

 最後に、ここまで読んでくださった方に心よりお礼申し上げます。
ありがとうございました!!(*^O^*)

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